夜の女性用のアイテム

タイトルの通りです。女性用のアイテムを取り上げてみます。

バイアグラという単語を媚薬の一部のように使っている人がいるが、間違っていると思う。
勃起を補助させるという点では確かに似ているかもしれないが、働き方が全然違うのだ。
私に言わせると、筆ペンのことを鉛筆と呼んでいるような感覚に近く感じる。
「文字を書くための道具だから一緒でしょ?」といわれたときに、どう応えたらいいのか判断に苦しむが、「違うものは違う」というしかない、という感覚に近いと思う。

性行為に携わるものではあるが、バイアグラは性的な興奮を引き起こすものではないし、性欲を増し加えるものでもない。

順を追って整理しよう。
性行為に必要なのは男性の勃起と女性の受け入れ態勢であるが、女性が受け入れる準備に必要なものはここでは割愛する。
男性の準備としての勃起だが、それには性的な欲求と性的な興奮が必要となる。
健康な男性であれば、ある程度の体力(精力)が維持されて蓄積されると精子が貯まり、それを放出したいと思うようになる。
これが性的欲求であり、その後、性的な興奮が引き起こされることで、射精の準備が始まる。
射精には性行為が必要であり、そのための勃起が起きる。
だが、バイアグラはこの二つのためには働かないのである。
一般的に媚薬といわれるものは、性的な興奮を引き起こすか性的な欲求を強めるための要因として働くものであるから、バイアグラは媚薬とは言い難いことになる。

バイアグラで勃起するのは事実ではあるが、これは性的な興奮と性的な欲求がすでに備わっている場合にはたらくものなのであって、それ自身が性的な作用を起こしてはいないのである。

性的な興奮が起きると、一酸化窒素が増える。
これによって血流が増えることになる。
性的な欲求はホルモン系の働きの蓄積である。
これらの二つにはバイアグラは関わってこない。
これらに関わる化学物質は別のモノであり、これらについては古来からいろいろな研究がされている。
植物や動物といった生薬をベースとしたエキスなどで賄われることが多い。

こういったものとバイアグラを混同してバイアグラは媚薬であるとするようなコメントをしているサイトはきちんとした知識のない人が書いていることが多いので注意をした方が良いでしょう。
きちんとした説明をしているサイトでED治療の薬は買うようにしましょう。

普通に人間関係を作るというためにはある程度共通の一般的な常識の共有が必要となる。
さらに男女関係として特別な関係になりたいと思うのなら、なおさら相手に「あの人、変!」と思わせるような行動や格好は避けるべきである。

これは言葉の使い方にも当てはめることが出来る。
がさつな言葉遣いは、教育がなっていないという判断をされやすくなる。
仕事をする場合には敬語を使う。
語気を荒くすれば、相手がすぐに動くと思っている人もいるようだが、大きな勘違いである。

喧嘩をする気はないし、他のお客さんの迷惑になるからその場は引くというだけであり、対処はするが、基本的にそのような人に対しては気持ちのこもったサービスを続けることはなくなる。
言われたら「あー、はいはい。こっちのほうがベターなんだけど、こいつ相手に教えてやる必要もないし、言われたことだけやっておこう」という気持ちでの対応になる。

がさつでなくても、いわゆる「ため口」を利くと、やはり一般的な常識が欠けていると判断され、それなりのサービスしか受けられなくなる可能性が高い。

逆にわきまえた言葉を使うことが出来る人に対しては、「もしかしたら、この人はもう少し専門的なことを知っているのかもしれない。こういう人がサイレントクレーマーになったり、この人のつてでの営業がやりにくくなるのはまずいだろう。丁寧な仕事をしないとやばいかもしれない」という考え方が働く。

一件目下に見える人に対しても丁寧な言葉を使うことを知っている人は「それなりの人生の経験をしてきているのだろうな」、と見られる。

そして、それを差し置いても一般的な慣習で、「日本の成熟した人間同士の間では丁寧な言葉を使う」ことになっており、それをきちんとわきまえることの出来ていない人間は、やはり一ランク下の人間として扱われるのだ。

言葉もそうだが、身なりも同じなのである。何を着ようが本人の自由ではあるが、社会に出た際に必要な一定ラインというものがある。それを感じて、自分をそこに適応することが出来るか出来ないか、そういったことで人間関係をきちんとできそうかどうかが判断されるのである。

自分なら、付き合い始めれば最初に与えたおかしな印象をひっくり返すことが出来ると思っている人は多いだろう。しかし、大抵は上手くいくことはない。付き合い始めるというスタートラインに経たせてもらえないのだから。
最初から一定ラインを守り、その上でよい印象を与え続ける努力をすることが、人間関係、また男女関係も深まっていくのだ。

人間は見た目ではない。中身が重要だ。
それはそうだ。だから仕事で汚れてしまった場合、そのときだけを見て汚い、あいつは駄目だ・・・という判断をしては駄目である。
だが、汚くてもきれいでも関係ないのだから、汚い格好でもよいではないか?という考え方は正しくない。

仕事によって作業着が汚れるのがわかっている場合は、仕事が終わったら清潔な服に着替える。それが大人の身だしなみである。

もてない人間が陥りやすい間違いに、「あいつらは俺の良いところを知らない。見掛けだけで判断している」と考えてしまっていることが挙げられる。
違うのである。人生を長くやっていると、普段小奇麗にして、回りに好感をもたれるようにj努めていると、ちょっとした間違いも、「らしくないね・・・」という形で肯定的に受け止めてもらえる。そして、「そんなことないよ、俺は結構こういった失敗するし・・・」と言っても「またまた、ご謙遜を」という形でよく見てもらえることが多くなる。そしてそれは多少のミスも他者から多めに見られるようになる。

これが普段から小汚い格好をしているとそうはならない。
「所詮、そんなものだろう」と判断されるのである。

一般的な感覚として、身なりの手入れは常識の範囲なのである。
公共の場所で、行わないほうがよいことがある。それと同じくらい身なりを整えるということは良識として捕らえられることなのである。

奇抜すぎず、汚すぎない。そういう格好をすることでその人が一般的な良識を持っているのか図られるのです。

一般的な良識を持っていると思わせること、それが他者とのコミュニケーションの前提ですので、普段の格好がおかしくないかまずは自分を見てみましょう。

良識を疑われると、異性は近づいてこなくなりますので、まずはそこから。

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